崇道神社を発見っ





自転車でブラブラ走ってたら、何か左側に違和感を感じて、何だろうと思ったら神社があった。
別に探していたわけではないが、こんなとこにあったのかというちょっとした感動がうまれた。




この神社は、早良親王という奈良時代の末期の皇族で、平安京でお馴染みの桓武天皇の弟といわれていいる人です。



この人は、藤原種継を暗殺したんじゃないかと疑いをかけられちゃって、無実を主張するため絶食し続けて、結局亡くなってしまったらしい。
その死後、都では疫病なんかが流行し、これはたたりじゃないか?ということで怨霊を鎮めるため、早良親王は祀られ、崇道天皇として追称されたらしい。



大抵、「崇」とつく名前は、怨霊を鎮めるために高い位の名をあげ、
「どうかこの世で悪さをしないでください。」と祀られているらしい。
(例として、崇徳天皇もそうである。)




あと、おもしろい記述で、柳田國男という人が、神になるべき人の条件には2つあると言っている。

①その人が生前偉大な能力を持っていたということ。
②その人が流罪になったり、死刑になったりして余執、怨念を残す形で死んだこと。

これを読んだとき、僕は「おおっそうか!」と思いました。
菅原道真も当てはまる。

しかし桓武天皇を祀る平安神宮は、明治時代(1895年、平安遷都100年)のもので、
桓武天皇は②が該当しなかったので、平安時代には造られなかった。

明治に弟(早良親王)は祀ってあるのに、兄ちゃん(桓武天皇)を祀ってないのはおかしいだろうと思って、造ったのかもしれない・・・。