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「バガボンドが面白い理由」
自分なりにバガボンドを解釈してみた。
なぜ面白いか、それには必然と理由がついてくるはずだと。
そこで思ったことは、キャラ一人一人が剣を通じて哲学を持っていることだ。
いや剣そのものに哲学が混じっているののかもしれないが、人は何かに没頭しだすとその流儀を生み出そうとする。
自分ならこうなりたい、こうしたい、こう表現したい・・・云々。色々感じるのだ。
最初、見た世界とは明らかに違う、俺はもうここまで来たんだ、だけどその剣には終わりがない。終わらせることは簡単だが、続けることは難しい。
他者からのアドバイスを受け育ってきた武蔵。しかし、最終的に決めるのは自分。そう自分なのだ。
葛藤、願望、悲哀、様々な気持ちが表れるのも自分の脳裏が生み出しているものなのだ。
我々は今、井上雄彦という存在の意義、哲学を生で感じている。この漫画に彼の偽り感は感じられない。もし、自分と違うものを描けば、彼の漫画は稚拙になり、ただのありきたりの漫画になっていただろう。
だから僕は彼の漫画に没頭出来ているのだろう。
同じ表現者という道に彼を尊敬する念は強くなる一方である。
最近、友達に言われ気づいたことがある。俺は萎縮していたのかもしれない。いや個人的には正しい道(メジャー誌の道)を進んでいるつもりなのだが、
どうも彼曰く、俺がそれに固執し、捕らわれすぎていると思っているらしい。
そんなつもりはないと思っていたのだが、たしかに俺は何かが変わった。心境の変化だ。自分の中でもそれは気づいている。
たぶんその心が変わってきたのは、アシスタントをやってからである。他人に評価されるには、技量とエンター性だと思い出してきたのだ。
それは自分自身がよく気づいていることで、「今のままだと全然足りない、こんなんじゃいけない。漫画家になれない。」とイライラを募らせていた。それは今でも変わらないのだが・・・。
でも俺はいつしか忘れていたのだ。大切なのは他人の評価じゃない、自分と戦うことだ、と。
「自分に認められるのは、他人に認められるよりも容易いものではない。」と俺は思っている。
「他人はまあいいじゃない」と言っても、俺の心は「そんなんで良いのか??本当に。」と軽蔑した目で見られている。
他人など、いつ別れるかわからないものに対して、自分とは一生付き合わない相手、最大のライバルなことに俺はいつしか逃げていたのかもしれない。
俺は懺悔してもしきれない、自分に対していつか臆病になっていたのだ。
なぜ自分が漫画家を目指しているのか?その本質を思い出した。
たしかに、バガボンドの1巻(最初のカラーのページ、馬の躍動感)をみて凄いと思った瞬間、俺もなりたいと心に抱いたのも確かのだが、それと同時に俺は何か自分というものを記憶だけでなく、記録として残したいと思ったのだ。
その時、漫画という媒体に憧れを抱いた。自分が感じたこと、経験したこと、もろもろ全てを表現したいと。
そのことを思い出した。俺の中で、その時その時は悲しくても、俺みたいなヤツがいるから一緒に前を向いて笑って過ごそうよ。というコンセプトを思い出した。
俺は誰にメッセージを向け、誰に喜ばれ、誰に共感され、誰と共にいたいことを忘れていた。俺が卒制で自分の頭の中で何かが足りない、何で納得できないんだろう?と寝る前にいつも考えても答えが生まれなかったことに友は答えてくれた。
俺は涙した。涙が止まらなかった。2日ほど泣いた。目が腫れた、眠れなかった。
俺の脳内で何かが爆発したのだ。
たぶん俺は危険人物になる。
「むっちゃ 風邪ひいてんっ」のフレーズが面白いっ!!
「三村勝手に押さないで〜。」という必死さが伝わってくる。