JAPANに帰ってきた


Namaste!
I came back JAPAN.  
JAPAN is very cold.

というわけで昨日日本に戻ってきました、そして寒い。

さっきブッタガヤで出会った人から電話がかかってきて
「あ〜電話つながってよかった、大丈夫?生きてる?」と言われた。
僕が「I'm fine. Thank you!]と言ったら笑われた。

家の近くのスーパーに入ったとき、人を避ける際、つい
「Excuse me.」と言ってしまう僕。まだインドの時の僕が残っている。
家に到着すると、インドの砂埃と排気ガスのにおいを身にまとっていたことがわかった。
臭いっ!!久々に家の風呂に入ったらホットシャワー。すげえ温度調節できるし、水じゃないと感謝感謝のホットシャワー。

なんとかギリギリ日本に帰れた。

けっこう危ない目にも遭ったし、5日間以上下痢だけど無事着いた。
楽しかった、人生でこんな刺激的な毎日を送れて幸せだった。
生きるって楽しいと思った。


さて、ここからインドでの出来事を書こうと思う。

12月19日 TOKYO → SHANHAI
前日に親友と夜飲み、それが当たり目が覚めたら水下痢になる。
午前6時 水下痢と一時間半以上戦う。出発時間が刻々とせまる。
午前8時 家を後にするが、歩くたびに下痢を催す。これがインドの洗礼かと勝手に思う。
電車に揺られながら、腹痛は止まらない。
飛行機に乗る前に10回ぐらいトイレに行っている。もともと腸炎なのだが、こんなときに最大の下痢がくるとは、これはインドに行くなということかと思う。

でもなんとか中国東方航空に乗りで上海で一泊。きれいな二つ星ホテルだったが、なぜか女の裸の写真と使い捨てのコ○ドームガ落ちている。

12月20日 SHANHAI → DEHRI

午後2時すぎ 中国東方航空でインドに向かう。
       たまたま相席が日本人の方(kさん女性)で話しかけてみる。
「インド何回目ですか?」
「4回目だよ。」
「えっ、僕インド初めてなんですけど、インド大丈夫ですかね?」
「全然安心だよ。だって私三回行ってるけど、全然危ない目に遭ってないし、むしろめっちゃ楽しいよ。」
Kさんは日本でダンスの先生をやってるらしく、今回インドに来た目的はインドの友達に会うこととインドの有名なダンスの先生と一緒に踊ることだそうだ。

そんなこと話しつつ、仮眠しながらデリーに着く。

夜10時頃、IGI空港に到着。インドのイメージと真逆な成田空港と同じくらいでかいターミナルがお出迎えする。
とりあえず、Kさんを迎えにくるはずのインド人を一緒に探す。
30分以上しただろうか?ようやく見つけてKさんとサヨナラをし、自分が日本で事前に予約したホテルの送迎バスを探す。
だが、ない
探しても探してもない。 とりあえず案内所に行ったらタクシーを使えと言われ、タクシーの予約者リストのとこに名前を書き、
「いくらで行けるんだ?」と聞いたら
「150〜200ルピー(インドルピー1ルピー=日本円1.6円 約250〜300円)だ。」と言われ30分待つ。
あたりはインド人だらけで日本人僕一人。11時過ぎていただろうか?
突然「COME COME!」と呼ばれ、タクシー来たんだと何の迷いもなくついて行く。
これが悲劇の始まりだった。
タクシーとは似ても似つかないワゴン車だった。
「This Taxi?」と聞いたらそうだと答える。
荷物を勝手に詰まれ、なんか怪しい気配がする。
インド人たちがヒンディー語でなにか談笑している。
本当にホテルに着くのだろうか心配になる。
運転席と助手席にインド人が座り、僕は後部座席座る。
突然車は走り出し、道路の真ん中に連れて行かれる。助手席の男が2500ルピー払えという。
俺はなんかの聞き間違いだと思い、250ルピー渡す。すると助手席の男は運転席の男に苦笑いし、
「2thousand 5hundred RPS!」と叫ばれ、「えっ」ととまどう俺。
なんで十倍以上の額をふっかけられるんだ?!降りようかと窓の外を見ると車がビュンビュンと走っている。逃げられない。

どうする俺?どうするTAMANO?!